国語力は重要
・言葉なしに思考・表現できない
→教採対策 教育の目的⑨ 個人・社会のため/資質・能力の育成 - sazaesansazaesan’s diary
でも言ったが、資質・能力の2つ目の柱である思考力と表現力は国語力に直結
・人間の社会制度は言葉によってできているに等しい
『新学問論』(西部 邁,杉浦 康平,谷村 彰彦):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部
・小論文、大学のレポート、就活の自己PRなど、書く力は重要
さらに現代では、
読解力を鍛えるメリットと高めていく方法|グロービスキャリアノート
3で読解力が低下している原因の1つに、
「一方的な情報発信」=都合よく情報を切り取りして批判することの批判。
4で読解力の効用として、情報収集能力アップ、言いたいことをつかめることを指摘。
そうした状況で、国語の先生の役割とは?
まだまとまっていないが、仮に2つあげておく。
1 何かあるたびに「あ、これ、国語で習ったよね」と意識を更新できるとか?
(具体的な場面を思いつかないが、こまめに思い出せる授業ができたらいい)
→少なくとも、
国語教育 国語教育についての問題 - sazaesansazaesan’s diary
で引いた幸田氏の指摘
テスト前に授業でやった解釈を覚えるという、短期記憶を問う科目にはしたくない。
2書くことの指導
実際に添削指導することも大事だが、
どの教科の先生やどの生徒も使える、小論文の手軽なマニュアルを作って実践出来たら
→国語の先生個人の感覚・職人技とは違う、
学校で共有できる、言語化された技術体系 になる?
※「やっておきなさい」ではなく、「こういう方法もあるからよければ試して」的な感じで配布し、口コミで広まり、いつしかみんなが習得という状況などが理想?
はまさにこうして誕生し書籍化。
そもそも、国語科教員としての専門性とは何か?(専門性は別記事で)
→言語の4技能で特に大事なところをやってみせることができることとか?
例 どこができたら小論文が書けるかを、生徒の草稿にちょいと赤ペンを入れる。
「ほら、こうしたらわかりやすくなる。自分で書くときも~してみるといいです」
(1/1追記 こういう実践について補足。
具体的にどう実践するかはまだ考えていないが、
教採対策 堀裕嗣『学級経営10の原理100の原則』 - sazaesansazaesan’s diary
で紹介した
の、具体作業の原理が使えないか?
その原理の説明では、入学式前15分で新入生に対してすべきことの例が引かれる。
堀裕嗣氏は言う。
一番優先順位が高いのは堂々とした入退場と判断し、
行進の練習を全員で一緒にやって見せる。(先生がやって見せ、生徒がまねる)
追記は以上)
補足
考えすぎだが、
国語教育にありそうな誤解として、
・国語は習わずともできるという謎の自信。
その逆に、苅谷夏子氏の経験として、
教採対策 テスト〈日本語教育にも〉 - sazaesansazaesan’s diary
国語のテストは解けないという不安。
・読解は気持ちを読むセンスが要求される?
・国語で習ったことが生活に役立たない?習ったことがあいまい。
(堀裕嗣氏の指摘 国語教育 系統性 - sazaesansazaesan’s diary
・受験対策さえも、学校の現代文では対応しにくい?
いろいろ参考書を試すしかない?
などがある、と思っている。
続く