評論文の背景知識 内田樹『寝ながら学べる構造主義』
評論文の背景 内田樹「届く言葉」(『街場の文体論』所収) - sazaesansazaesan’s diary
に関連して
なーんだ、そんなことだったのか!『寝ながら学べる構造主義』内田樹 | 文春新書
の内容に対応した、内田樹氏のブログ記事を紹介します。
- 第1章
- 第2章 ソシュール
- 第3章 フーコー
- 4章 ロラン・バルト
- 第5章 レヴィストロース
- 6章 ラカン
- 内田氏の構造主義への思い
- 『寝ながら~』を書いたときの考え
- 補足 ロラン・バルト
- 補足 合わせ読み 柄谷行人
- 補足 丸山圭三郎のソシュール研究
- 内田樹氏のブログから、本書に関係する記事のリンク
- 補足 合わせ読み
第1章
今の常識を構造主義が作ったという話は
彼らとの出会いは、
彼らの名前を引かないが
「自分が自由に思考していると信じているときにこそ、私たちはそのように思考することを構造的に強制されている」という認識
は構造主義にもあてはまる。
第2章 ソシュール
ラカンにも言及→3月2日 - 内田樹の研究室 にも。
自分オリジナルの言葉と誰かの言葉の受け売りについての議論は、
で深められた。
(とつとつとしか話せない言葉について参考になる。)
(2/1追記 『私家版・ユダヤ文化論』脱稿 - 内田樹の研究室
には、ラカンの話と
「一読しただけではよくわからないように書く」こと。)
(5/15追記
ヤコブソンの影響
言語学はなにを得て、なにを失ったのか | 学術機関リポジトリデータベース
P16 ストロース自らヤコブソンによる音素研究の影響を受けたと告白。
→同じことは
文学の授業における<解釈>と<分析>の統合 : P・リクールの論考を手がかりに
p25によると、リクールも同様の指摘を行った。)
第3章 フーコー
フーコーの問い方を、憲法再論 - 内田樹の研究室
で引く。
(2/1追記 追悼・橋本治 - 内田樹の研究室
実際に起きたことは必ずしも起きるべくして起きたこととは限らない。それとは違う出来事が起きてもよかったのだが、それはたまたま起きなかった。
もたぶんフーコー由来。)
→ブログ主としては、
日本史では、歴史学 幕末 - sazaesansazaesan’s diary
で紹介した諸論文が、倒幕への1つの道ではまとまらない歴史を書いていると思う。
4章 ロラン・バルト
バルトは引かないが著作権についての初期の発言
バルトの「作者の死」に関連して、批評家についての説明。
第5章 レヴィストロース
(2/1追記
評論文の背景 内田樹 街場のメディア論 - sazaesansazaesan’s diary
の7,8講のブログも参考。
なお、ストロースの紹介者として、
評論文の背景 人類学 - sazaesansazaesan’s diary
の川田順三が特に有名)
6章 ラカン
ラカンの分析的対話
(6月の方には院生心得も)
知っていると想定されている主体
(『寝ながら~』には出ない例を使っているが)
もラカンと宛先の話。
内田氏の構造主義への思い
単行本版p86では、構造主義について、
ふつうの人とぜんぜん違う視点からごく当たり前に見える現実を見直して、それを徹底的にラディカルに考え抜いて、机上の空論にとどまらず、現場に出て行って、フィールドワークで仮説を固めていく。
と評価。
なお、
もcallingを論じており、有益。
『寝ながら~』を書いたときの考え
「届く言葉」や『街場の文体論』とも関連する話。
「高校生自身がおのれの生活実感の深層に向けて垂直に掘ってゆけばよい。」
(ブログ主は現代文でこの記事を教材にしたい。)
「川島は自分が知っていることのうち、読者が緊急に学び知らなければならないこと「だけ」を厳選し、精密な語法で、噛み砕いて、語る。」(注:川島武宜)
→研究成果を分かりやすく伝える人への敬意。
補足 ロラン・バルト
Language - OpenSquareJP|井上貢一研究室
や、広告分析における記号論も参考になる。
補足 合わせ読み 柄谷行人
内田樹氏の整理(特に第1章)を踏まえて、
過去問3
『言葉と悲劇』(柄谷 行人):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部
を読むといいかも。
補足 丸山圭三郎のソシュール研究
→著者の丸山の著作概要は、環境関係の
穴見愼一の 「自然科学と人間」の射程V
p34-36にあり。
(4/3追記 内田氏が、丸山圭三郎・山口昌男の著書を学生時代に読んで、構造主義を学んだことは
に見える)
ソシュールについては
言語学はなにを得て、なにを失ったのか | 学術機関リポジトリデータベース
も参考。
2/28追記
内田樹氏のブログから、本書に関係する記事のリンク
http://blog.tatsuru.com/2002/01/08_0000.html
http://blog.tatsuru.com/2002/01/23_0000.html
http://blog.tatsuru.com/2002/03/17_0000.html
http://blog.tatsuru.com/2002/02/19_0100.html
http://blog.tatsuru.com/2002/02/19_0200.html
http://blog.tatsuru.com/2002/02/26_0000.html
http://blog.tatsuru.com/2002/08/25_0000.html
『寝ながら』にはないが、ギャッツビー
http://blog.tatsuru.com/2002/07/17_0000.html
フーコー『性の歴史』
http://blog.tatsuru.com/2002/07/06_0000.html
ブラック・セミノール
http://blog.tatsuru.com/2002/11/12_0000.html
寝ながら執筆後に、オルテガを再読して気づく。
http://blog.tatsuru.com/2004/02/01_0000.html
ストロースVSレヴィナス
http://blog.tatsuru.com/2002/10/08_0000.html
http://blog.tatsuru.com/2000/12/13_0000.html
ストロースのプリコラージュ
http://blog.tatsuru.com/2001/01/16_0000.html
予測可能性な人
http://blog.tatsuru.com/2001/03/01_0000.html
ソシオクレト
http://blog.tatsuru.com/2001/03/12_0000.html
http://blog.tatsuru.com/2001/10/22_0000.html
村上龍はインタビューで「この小説は何を言いたいんですか?」という質問をしりぞけて、この小説が言いたいことはこの小説に書いてあります。ひとことで言えるなら小説なんぞ書きません、としごくまっとうな答をしている。
http://blog.tatsuru.com/2002/05/05_0000.html
フェルマンの『女が読むとき、女が書くとき』
『寝ながら』にはない話
http://blog.tatsuru.com/2002/06/08_0000.html
フェルマン前掲書
http://blog.tatsuru.com/2001/11/19_0000.html
『寝ながら』のもととなった講義を準備した時の感想。
読むことの難しさ
「分かっちゃいるけど、分からない」
http://blog.tatsuru.com/2001/12/04_0000.html
構造主義の本質
http://blog.tatsuru.com/2001/03/25_0000.html
現代思想のパフォーマンス
コミュニケーションとあいさつとレヴィストロース
http://blog.tatsuru.com/2000/06/20_0000.html
歴史修正主義と『抑圧された記憶の神話』
http://blog.tatsuru.com/2000/02/17_0000.html
子どもの定義と上野千鶴子との論争
→サルトルの話が『寝ながら』に見える。
http://blog.tatsuru.com/2000/03/05_0000.html
ラカンと物語の始まりについて
http://blog.tatsuru.com/2000/03/19_0000.html
論文を書くときの気分と
ラカンの「知っていると想定されている主体」
http://blog.tatsuru.com/2002/04/13_0000.html
レヴィストロース
http://blog.tatsuru.com/2001/04/10_0000.html
体臭と肩こりはソシュールの章に出る
http://blog.tatsuru.com/2001/05/05_0000.html
独裁者 行動の予測不可能性
http://blog.tatsuru.com/2002/05/10_0000.html
ストロースとビジネス
http://www.tatsuru.com/columns/uhohoi1.html
『同時代論-市場主義とナショナリズムを超えて』(間宮陽介、岩波書店、1999)について。
レヴィストロース
補足 合わせ読み
構造主義については、
も参考になる。
特に、3章の構造主義のルーツは、幾何学と遠近法が構造主義に与えた影響を述べており、国語教材に使えそう。
その他 5/15追記
7章は言語に関して。