内田樹の原点、レヴィナス三部作、2冊同時刊行!『レヴィナスと愛の現象学』内田樹 | 文春文庫
に、内田樹の師匠論の原形らしきものがあったので、抜粋しておきます。
などの祖型なのでは、とも思います。
p28「逆に言えば、どれほど知的ストックが幼稚で貧弱であっても、「俯瞰的な視座」を獲得できる人間―自分自身の目線の高さを想像的に超えることのできる人間―は、自分の不能をかなり適切に言語化し、ひとに伝達することができる。
教育を受けることには、何よりもまずかかる「俯瞰的な視座」を想像的に獲得することに存する。もうお分かりだろうが、この「想像的に措定された俯瞰的な視座」のことを私たちは「師」と呼ぶのである。「師」とは「弟子をマップする視座」のことである。 」
→「俯瞰的な視座」は10月9日 - 内田樹の研究室も参考。
p29「漫画やゲームや音楽などの狭隘なフレ―ムの中にあふれるばかりにトリヴィアルな知識を詰め込むことに情熱を傾ける若い人をときどき見かける。彼らが同一ジャンルの情報の量的増大と緻密化以外に知的成長の容態がありうることに想像が及ばないのは、「師」に出会うことができずに生きて来たことの痛々しい結果である。」
→「情報の量的増大と緻密化」は受験勉強や大学での学びにもあてはまるか?
pp139-140「「弟子であるということ」は、師の全知の前にうなだれて黙することでも、師の言葉をそのままおうむ返しにすることでもない。そうではなくて、師との「対話的運動」を通じて、これまでも、そしてこれから先も「彼以外の誰によっても語られることのない」言葉を発するために呼び求められることである。」
以上です。