授業の形態について考えさせられる記述を引きます。
の玉かつま 巻の八(底本は『本居宣長全集』)
99 こうさく くわいどく 聞書[427]
会読は
基礎基本をおろそかにしたまま進む
「いかにぞやおぼゆるふしぶしをも、おほくなほざりに過すならひにて、」
知識なしに議論しても不毛
「うひまなびのともがらなどは、いさゝかももみづから考へうるちからはなきに」
こうさく=講釈≒授業
先生の話を聴くばかりで、主体的に考えない
「己レちからいれむとも思はず、聞クことをのみをむねとせむは、いふかひなく」
ノートに集中しすぎて
「もはら聞書のためのこうさくになる」
会読については、
(青空文庫)の「自身自力の研究」の段に
「
会読以外の書なれば、先進生が後進生に講釈もして聞かせ不審も
小学校から大学まで役立つ話です。
以上です。