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でも言及した「語り手」について。
語り手は古典文学、近代文学の研究を踏まえた話もある。
日本近代文学における作品内作者: 作品, 作品内読者との関わり
P3 源氏物語の草子地や
Pp4-5 為永などの近世小説では作者が作中に登場。
永井荷風の 図書カード:濹東綺譚 (青空文庫)
でも「わたくしは春水に倣(なら)って、ここに剰語を加える。」で登場。
明治の永井のときには、すでに普通ではなくなっていた。
東京書籍の文学国語 教科書に、
が掲載。
『「私」をつくる』
pp40-41
夏目漱石 三四郎2の
「明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している。」の前後を引きつつ、語り手が三四郎に同化したり、全体を俯瞰したりしつつ、三四郎には見えていない部分は語り手にも見えない。
=「なりきりー目隠し」の法則
pp111-112
showing描く=客観的に示す Telling=語る=具体的状況下で誰かが誰かに語る
日本は語りの伝統。
例 大鏡の設定(古老が語る)、平家物語は琵琶法師が語る、源氏物語の草子地や近世小説では作者が登場。
p113『小説神髄』将棋の傍観(おかめ)と同じく、作者介入ダメ
小説の主眼 26コマ22葉表
作者が作中に登場するのは、将棋で「傍観の助言を下す」ようなものと批判。
なお、安藤前掲書には、太宰作品が多い。太宰の語りについては
この論文p53の指摘
『走れメロス』では、肉体的疲労が語り手の饒舌な語りをさえぎるという指摘は授業で使える。
安藤氏のshowing /tellingは
というnoteも参考。
以上です。
ブログ主思うに、安藤氏の本を、高1の国語総合や中2の平家物語で使えないか?