結論:語り手、直接言わない、文法に注目
p81別の言い方・他の作家・英訳との比較。文体の特徴。表現の効果などを考えさせる、などの発問をしては、と提案。
羅生門を例に諸書から抜粋しておきます。
なお、本記事は
文学の授業で論理的に解釈を構築する―「羅生門」(高1)実践報告―
3時で語り手について学習、5,6時で探究マップを利用し、羅生門論を書く
という授業の補足的な話です。
より引用。
〇語り手の問題
「作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。」
→
NHKブックス No.940 小説入門のための高校入試国語 | NHK出版
P22 羅生門では作者が顔を出す
P23道草 漱石の冒頭 主人公の内面に即して書く
〇そのまま表現しないことで…
・「羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。」
→『レトリック感覚』(佐藤 信夫):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部
3章 換喩 pp144-145でも紹介。
・「下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、白い鋼の色をその眼の前へつきつけた。」
→前掲書 4章 提喩 pp201-204
「やいばとか刀身というような物理的にも論理的にもいちばん具体的なことばをもちいるかわりに、はるかに抽象的な語句を使うことによって、結果は逆にきわめて生彩に富んだ具体性を獲得する」(p203)
〇文法事項との関連
pp191-192
「それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。」
語り手は、登場人物に同化して語り、「らしい」などの推量の助動詞を使う。
⇒「この助動詞は三人称でも使えるか」「感情表現に関係する助動詞は何か」などという問いを立てたら、文法と文学の授業がつながる?
まだまだ考えねば。
つづく。