結論:『舞姫』は設定上、回想録として書かれた。挿入された自己分析はたぶん帰国中に考えたこと。
作品の引用は青空文庫より。
〇どのように書いたか?
3人称の全能の語り手が語る形式を取らない。
設定上は豊太郎の回想録としての成立。
豊太郎の1人称語りを取る。
「豊太郎は思った」ではなく「我は~」という語り。
(1/23追記 国語教育 文学的文章 語り手 - sazaesansazaesan’s diary
も参考)
冒頭の船内のシーンを見ると、
・行きは日記を書いていたが、帰りは日記が書けない。その理由は…
「 げに東(ひんがし)に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず、學問こそ猶心に飽き足らぬところも多かれ、浮世のうきふしをも知りたり、人の心の頼みがたきは言ふも更なり、われとわが心さへ變り易きをも悟り得たり。きのふの是はけふの非なるわが瞬間の感觸を、筆に寫して誰にか見せむ。これや日記の成らぬ縁故なる、あらず、これには別に故あり。」
→自分の心の移り変わりについて、本文で詳しく述べられる。
しかし、日記が書けないのには別の理由がある。
「此恨は初め一抹の雲の如く我心を掠めて、瑞西(スヰス)の山色をも見せず、伊太利の古蹟にも心を留めさせず、中頃は世を厭ひ、身をはかなみて、腸(はらわた)日ごとに九廻すともいふべき慘痛をわれに負はせ、今は心の奧に凝り固まりて、一點の翳とのみなりたれど、文讀むごとに、物見るごとに、鏡に映る影、聲に應ずる響の如く、限なき懷舊の情を喚び起して、幾度となく我心を苦む。」
→一点の翳となった心の痛みがある。
最後の一文
「嗚呼、相澤謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我腦裡に一點の彼を憎むこゝろ今日までも殘れりけり。」
に対応?
この痛みを解決するために執筆するが……
「嗚呼、いかにしてか此恨を銷(せう)せむ。若し外の恨なりせば、詩に詠じ歌によめる後は心地すが/\しくもなりなむ。」
→漢詩・和歌などの伝統文学ではなく、小説という近代文学を必要とする理由をわざわざ書く。
物語中盤、相澤に会った際、豊太郎はこれまでの経緯を説明。
→相澤に語った内容≒それまでの豊太郎の語り?
さらに憶測すると
→『舞姫』=相澤への説明内容+その後の事件+帰国時の回想・気持ちなのか?
後述の豊太郎の自己分析は、当時思ったことか、帰国中の船内で考えたことか?
歴史学 史料編纂 - sazaesansazaesan’s diary
で紹介した『左伝』のように、重層的に執筆されたのだろう。
帰国時に加えた弁解の例
エリスと恋愛関係になった当初について。
「嗚呼、委(くはし)くこゝに寫さんも要なけれど、余が彼を愛づる心の俄に強くなりて、遂に離れ難き中となりしは此折なりき。我一身の大事は前に横りて、洵(まこと)に危急存亡の秋なるに、この行ありしをあやしみ、又た誹(そし)る人もあるべけれど、」
語り手の弁解。
「何でこんな大変な時に恋するんだよ、とか思う人もあるだろうけど、恋しちまったんだよ、わかってよ。」と読者に弁解。
以下、豊太郎の自己分析をたどる。
〇自己の覚醒(ドイツで大学に通い始めて)
「奧深く潜みたりしまことの我は、やう/\表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。」
→洋行前の自分と後の自分を比較するうちに、
自分が偽りの自分と本当の自分に分化する。
→日本初の「自分が自分でなくなる経験」?
〇留学生から堅物と批判されたことについて。
「我心は處女に似たり。余が幼き頃より長者の教を守りて、學の道をたどりしも、仕の道をあゆみしも、皆な勇氣ありて能くしたるにあらず、耐忍勉強の力と見えしも、皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、唯だ一條にたどりしのみ。餘所に心の亂れざりしは、外物を棄てゝ顧みぬ程の勇氣ありしにあらず、唯外物に恐れて自らわが手足を縛せしのみ。」
→この「處女~」の伏線となるのが、ドイツ到着当初の心情描写。
「されど我胸には縱ひいかなる境に遊びても、あだなる美觀に心をば動さじの誓ありて、つねに我を襲ふ外物を遮り留めたりき。」
→心のフィルターの状態によって、見えないものがある。
〇相澤謙吉登場。
「同じく大學に在りし日に、余が品行の方正なるを激賞したる相澤が、けふは怎(いか)なる面もちして出迎ふらん。室に入りて相對して見れば、形こそ舊に比ぶれば肥えて逞ましくなりたれ、依然たる快活の氣象、我失行をもさまで意に介せざりきと見ゆ。」
→相澤から見た自分を意識。
自分にとっての自分と、他人から見た自分と、友から見た自分。
〇相澤にエリスとの破局を勧められる。豊太郎は、
「大洋に舵を失ひしふな人が、遙なる山を望む如きは、相澤が余に示したる前途の方鍼(ほうしん)なり。されどこの山は猶ほ重霧の間に在りて、いつ往きつかんも、否、果して往きつきぬとも、我中心に滿足を與へんも定かならず。貧きが中にも樂しきは今の生活、棄て難きはエリスが愛。わが弱き心には思ひ定めんよしなかりしが、姑(しばら)く友の言に從ひて、この情縁を斷たんと約しき。余は守る所を失はじと思ひて、おのれに敵するものには抗抵(かうてい)すれども、友に對して否とはえ對へぬが常なり。」
→なぜエリスと別れると言ってしまったかを今になって回想。
相澤を山、自らを漂流者に例える
=うまく言いようもない感情を、比喩にした。
→高校生は
「おのれに敵する=自分を譏る他の留学生ならば、
なぜ留学生どうし仲良くできないか?なぜ友の言うことは聞くのか?」
と思うだろう。
〇ロシアにいる間、エリスから何度も手紙を受け取る。
「 嗚呼、余はこの書を見て始めて我地位を明視し得たり。耻かしきはわが鈍き心なり。余は我身一つの進退につきても、また我身に係らぬ他人の事につきても、決斷ありと自ら心に誇りしが、此決斷は順境にのみありて、逆境にはあらず。我と人との關係を照さんとするときは、頼みし胸中の鏡は曇りたり。」
→伏線
エリスと出会う前、
「奧深く潜みたりしまことの我は、やう/\表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり。余は我身の今の世に雄飛すべき政治家になるにも宜しからず、また善く法典を諳(そらん)じて獄を斷ずる法律家になるにもふさはしからざるを悟りたりと思ひぬ。」
と思って、自分で進路を決めたつもりになっていたが、違った?
高校生は、
「いざってときにきちんと決断できないなら、できても意味ないよ」と思うだろう。
〇ロシアからベルリンに戻り、
天方伯に日本に帰るか聞かれて、
「其氣色辭むべくもあらず。あなやと思ひしが、流石に相澤の言を僞なりともいひ難きに、若しこの手にしも縋らずば、本國をも失ひ、名譽を挽きかへさん道をも絶ち、身はこの廣漠たる歐洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝いて起れり。嗚呼、何等の特操なき心ぞ、「承はり侍り」と應へたるは。」
→相沢と話したときには、「貧きが中にも樂しきは今の生活、棄て難きはエリスが愛。」を思ったのだが、天方伯と話すときにはそれも思い浮かばず、自分の名誉・祖国を考える。
あるいは、このときは何も考えずに言って、執筆時に思い出して書いたか?
〇比べ読み
第1章では、夏目漱石 私の個人主義(青空文庫)と鴎外の洋行日記を比較。
前述の「まことの我」を引き、続いて、
森鴎外 青年の10章
一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を
潜 ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為 し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。
現在は過去と未来との間に劃 した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
そこで己は何をしている。
生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。始終何物かに
策 うたれ駆られてゐるやうに学問といふことに齷齪 してゐる。
以下を引用。
なお、青年は
柔らかい個人主義の誕生 増補新版 -山崎正和 著|中公文庫|中央公論新社
の第1章、第3節「集団化社会の変質」の「生涯」の再発見
にも引かれる。
(山崎正和は「水の東西」だけではない。)
・福沢諭吉の言う「半開」の人々と豊太郎を比較すると……
「人間交際に就ては猜疑嫉妬の心深しと雖ども、事物の理を談ず るときには疑を發して不審を質すの勇なし。……人間の交際に規則な きに非ざれども、習慣に壓倒せられて規則の体を成さず。」
福沢諭吉 著『福沢全集』巻3,時事新報社,明31. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/898729 (参照 2025-01-23)
P31,204コマ、文明論之概略、巻1、第2章 西洋の文明を目的とする事
ひとまず以上です。