の入不二基義の解説では、
p235「日本語のものに限ってみても、対話篇を採用している哲学書はいくつもある。しかし、その形式で書かなければならない強い必然性を持ち、真に成功しているものとなると、ほんの一握りである。つまり、複数の人が登場して対話や議論をしていても、それが単に「段落分け」のように機能するだけであったり、見かけ上の「平易さ」を装っているだけであったりで、複線化も累乗化も創発も何も起こらないというような、名ばかりの「対話篇」は意外と多いのである。」
対話篇で思いつくものとしては、
『生きていることの科学』(郡司 ペギオ-幸夫):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部
220夜 『部分と全体』 ウェルナー・ハイゼンベルク − 松岡正剛の千夜千冊
『部分と全体 私の生涯の偉大な出会いと対話 』 by W.ハイゼンベルク - Megurecaのブログ
物理学者の自伝だが、対話シーンが多い。
対話篇そのものについて、
「日本思想史における問答体の系譜―中江兆民『三酔人経綸問答』の位置づけ」
以上です。