評論文の背景 鷲田氏のもつアイデンティティへの疑問

評論文の背景 存在価値、個性、アイデンティティ、自分 - sazaesansazaesan’s diary

評論文の背景 鷲田清一『「聴く」ことの力』の参考文献 - sazaesansazaesan’s diary

とも関係しますが

 

鷲田清一氏は

かつてなく幼稚化したニッポン!『大人のいない国』内田樹 鷲田清一 | 文春文庫

p40「僕は多様性という言葉を使う人にいつも質問するんです。「わかった。文化は多様でなくてはならない、人はそれぞれ違う。では、どうして私は多様であってはいけないの」と。なぜ個人が多様性を持つと、多重人格というレッテルが貼られるのでしょう。」

と、述べています。

 

哲学の使い方 - 岩波書店

p226 イデオロギー=「だれも正面きって反対できない思想」としたうえで、

多様性→「なぜ人格にかぎっては統合をいい、逆に多重人格を病理とするのか」

(追記10/16 アップ時には分離となっていましたが正しくは病理でした、引用まちがいして申し訳ありません。)

サスティナビリティ→諸価値の何をサステインし何を捨てるか?

安心安全→監視社会を招くのでは?

コミュニティー 

→コミュニティから脱出=情念・理念を共通しなくていい=自由と考えていたのでは?

と述べています。

 

以上です。