教育は何のために存在するかを考えてみるために、
原始時代の自然発生的な教育を想像してみます。
A 失敗したことを教える、元祖しくじり先生的な人が存在した?
B 自分が使うために覚えるのみならず、自分の子に教えるために学んでいた?
(この知識は大事だから、子どもに伝えておかねばという切迫感)
C 不可知なものによる支配を嫌い、「なぜそうなっているか」を神話などで説明しようとした?
D 熟達者の整理された思考に従えば便利だと気づいて、熟達者の説明をみんなで聞くようになった
などの、教育の萌芽的現象が存在したのではないか?
(アンパンマンマーチのメタルヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=D-fVf_M9Wto
を聴きながら思ったのですが、)
文字の登場以後には、人はなぜ生きるかを考えるための学問が生まれた?
→「死ぬとわかっていて、なぜ人間は生きていけるのか」に答えるのが文学部の仕事
「死なないでいる理由」鷲田清一 [角川ソフィア文庫] - KADOKAWA
所収に引かれる)
自分たちとは違う集団と共生しはじめたころ=多民族社会の萌芽のころ、
共生の大事さに気づいた?
教採対策 教育思想史 エミールの冒頭 - sazaesansazaesan’s diary
:人間は人間であることが共通→人間は人間社会で生きられるように教育
教採対策 教育の目的④ 内田樹の成熟まとめ - sazaesansazaesan’s diary
:オルテガの「共生」
1/1追記
原始時代の教師を想像したついでに、
学校という組織の発生も想像してみる。
たぶん、最初は必要な時に親が子に教えていた。
そのうち、一斉に教えたいことが出てきて、時間を決めて子どもを集めるようにした。
教えたいことが増えて、大人も手分けして教えた。のだろうか?
学校は教師が集住
→学ぶ人は各教科で学習先を変える必要がなくて便利。
一方で、1回に教えるのは1人という構造
問題もある。
小浜氏の指摘。
学校の現象学のために / 小浜 逸郎【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア
p139 マニュアル、研究授業、先輩の助言があるにせよ、
・授業を担当するのは1人。授業が他の教師により比較されない。
・生徒は不満を抱いても解決できない。
・教室で教師に不当なことが行われても、教師集団で共有できない。
まとめ 仕事の肝心な部分である授業が、同僚と共同の時間空間で行われない。
という。
チームティーチングなどは、
せっかく集まっているのだからチームでやろう、ということなのか?
(多分もっと深い背景があるはず。調べます。)
なお、原始時代を想像する方法は大学の恩師の話をまねました。
の序章などの有名な先行研究をかみ砕いて、
「国家を発生論的に考えると~」と言いながら、
考古学的にわかる階層のはじまり、墳墓、副葬品の話から、
王権の成立、王統の成立、王統の安定、専制国家の成立に至るまでの、
中国古代史を数分でされていました。
ブログ主は、
「そうか、はじまりから考えたら、いろいろ思いつけるなあ」
と思ったものでした。
以上です。