生徒が勉強する理由=教師が教える理由、とすると、教師が教える理由とは?
という本では、教えたいから教える、と述べています。
p24- 25
「教師が学ぶことをやめると、教育力が落ちる。というのは、生徒の側はその先生の勢いのようなものを感じとり、それを学ぶ動機に変えるからである。その先生がやる気に満ちていて、自分もまだうまくなりたい、もっとこの世界をよく知りたいと言う勢い、遠くへ向かっていく強い力を見せたとき、その力に反応して、「あぁ、自分もそういう風になってみたいな」と生徒も思うものがなのだ。
私は教育に鮮度をもたらす工夫として、「すごいよ!シート」を提唱している。三つのポイントを挙げて、なぜそれがすごいのかをシートに整理して授業に臨む。そして、「ね、すごいでしょ!だから、これって学ぶ価値があるんだよ」と伝える。教師自身がまず「これってすごいよ!すごすぎる‼」という感動を新鮮に受けることで、生徒の興味を引き出すことができる。」
p 29「教育者には、生徒と一緒に過ごす時間をある種お祭り的に捉える、というくらいのタフさがほしい。むしろ「自分のエネルギーをとってくれ」という感じである。「知識を私が撒き散らすので、みなさんは迷惑だろうけれども、それを受けとって、吸いとってね」「あふれて、あふれてしょうがないので、見返りどころか、とってくれるだけで十分です」というような人がやればいいのだ。」
このあとに、ニーチェの『ツァラトゥストラ』冒頭の蜜蜂の比喩を引く。
ちなみに、
でも、pp134-139で蜜蜂の比喩を引く。
『座右』の引用のほとんどは、手塚富雄訳(中公文庫、旧版)の『ツァラトゥストラ』
以上です。